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北星学園生協をめぐる、のほほんなブログ。旬の生協情報、極私的情報もお届けします。




2018年8月25日土曜日

歴史の勉強

大原です、こんにちは。

今日の厚別は朝から雨でしたが、お昼前にはやみました。
やや強めの風が吹いています。

さて今年は北海道命名150年とのことで、あちこちでそれにちなんだイベントが開催されています。

北星学園生協で文庫本を買うと付けてくれます。

森林公園にある北海道博物館でも企画展が開催されていましたが、閉幕近くになってやっと見学することができました。
その名も松浦武四郎展。


北海道150年松浦武四郎記念館のホームページで紹介されていますのでいうまでもないですが、松浦武四郎は北海道の名付け親といわれています。幕末に、蝦夷地といわれていた北海道に6回も足を運びました。

展示を見ながら気付いたことは、松浦武四郎は決して蝦夷地にだけ目を向けていたわけではなく、日本各地をくまなく歩いた旅人、探検家だったということでした。そうした旅心が蝦夷地もくまなく歩き回る行動力になったのでしょう。うらやましい。

そしてもうひとつ。
松浦武四郎は実に克明に訪問先をスケッチし、文章で記録していました。
この企画展でもその何冊かを展示していました。
ここで疑問がひとつ。この記録帳は「野帳」と紹介されていました。さてこれは「やちょう」なのか「のちょう」なのか。
解説文を読んでも読み方が見付かりませんでした。

広辞苑で調べてみると、どうやら「のちょう」と読むようです。
もっとも広辞苑の語釈にも「やちょう」と「かな」で紹介されていますので、なかなかややっこしいです(現代では土木・測量関係で「やちょう」ということが多いようですが)。

何はともあれ、松浦武四郎の蝦夷地探索調査が後に明治政府に認められて開拓御用掛として任ぜられ、松浦武四郎の原案をもとに、蝦夷地を北海道に改めることになるわけです。

これまたよく紹介されますように、もともとは6案提案されたうちのひとつが「北加伊道」で、すでにあった東海道に合わせて北海道になったとか(「加伊」に意味があったことも知られた話ですね)。
しかし展示を見れば、北海道と命名する前に、松浦武四郎自身が自分のことを「北海道人」と称していました。結果的に、松浦武四郎個人の雅号が地名になったわけです。面白いですね。

武四郎50歳のときに「北海道」が生まれたわけですね。

この特別展は明日が最終日です。

では引き続き良い週末を。

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