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北星学園生協をめぐる、のほほんなブログ。旬の生協情報、極私的情報もお届けします。




2018年9月3日月曜日

新・生協今昔物語(4)

大原です、おはようございます。

現在の厚別は曇り空。

4回シリーズでお送りしてきた新・生協今昔物語。
今回が一区切りです。
そして今回は1983年のパンフレットから。

オシャレなデザインになりました。

このパンフレットでは北星学園大学の1年が紹介されています。
これが面白いんですよねー。何ということもない文章ですが、書いている人のセンスが分かり苦労が目に浮かびます。昔は書いて訴えるということが一般的でしたよね。
ぜひ毎月の文章を読んでみてください。

1977年創部のアメフト部の写真が。

苦月「マイコンくらい使えないと」(苦笑)

今も昔も単位は気になるわけで。

次は大学周辺地図。
なくなったもの、新しくなったもの多数。
キャンパスの配置が今とまったく違っていることもお分かりになるでしょう。
また地下鉄東西線白石-新さっぽろ間が開通したのが1982(昭和57)年3月。このパンフレットにちゃんと記載されています。
さらに、サイクリングロード(陽だまりロード)に記載されている「注」。こんな文章、今では書かないでしょうねえ。(笑)


そして現在の学生さんには想像も付かないでしょうが、キャンパス内の建物の配置が大きく変わっています。円で囲まれた中の左上にある図書館が現在のセンター棟(カフェやラーニング・コモンズが入っている建物)です。その隣の生協の場所は現在の中庭です。ということは、当時は中庭がなかったわけです。当時の生協の写真が残っています

また、一番下にあるチャペルが校舎から離れたところに位置しています。現在は図書館棟とB館の間に挟まれてしまっています。ちなみに1974年の写真にほぼ同じ光景が見られます。
それにしても正門前にバス停があったんですね。

食堂の価格も徐々に上昇しています。かけうどん・そばが90円。
喫茶レインボーのところでも紹介したように、食堂でも一物二価だったようです。組合員を増やそうとした結果なのかもしれませんね。

「ハムライス」がない!?

ちなみに1980年代の半ば以降に入学した越T室長によれば、越T室長入学時には一物二価ではなくなっていたとのことでした。

そういえば購買部のレイアウトが記載されていました。


現在と同じ配置の部分もありますが、エントランスと壁側の配置はまったく違っていたことが分かります。実はこの頃は、現在の大学会館はまだありませんでした。ですので配置が違っているのは当然です。
なお、写真としては大学会館竣工後の1986年の1F購買の写真が残っています。

ちなみに短大店は一度行ったことがありますが、ほとんど記憶に残っていません。
ただ、短大店で働いていたパートさんたちとは年に一回、観楓会(これも今では使わなくなった言葉だなぁ)でご一緒した時期があり(2002年以前)、懐かしい思い出として残っています。

生協今昔物語(10)
生協今昔物語(11) 

1983年頃の大学の動きを『北星学園大学五十周年史』で拾ってみると次のようになります(関係がありそうな事項のみ)。

 1982年3月21日 地下鉄東西線(白石-新さっぽろ)延伸、大谷地駅開設
 1985年9月28日 経済学部開設20周年記念式典・祝賀会開催
 1986年3月24日 現大学会館竣工

こうした資料は、もちろん、生協本部にもあるでしょうから、もっとレアな資料も見付かるかもしれませんが、こうして事務の方がファイリングしておいてくれたということに感謝して紹介しました。

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