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北星学園生協をめぐる、のほほんなブログ。旬の生協情報、極私的情報もお届けします。




ラベル あの頃の生協 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2022年3月16日水曜日

曇り空

大原です、こんばんは。

今日の大谷地は、朝から曇りでした。
朝、出勤時の気温は3℃台でした。
『卒業式がせめて今日であれば』と空を恨めしく見上げました。

さて昨日、北星学園大学・同短期大学部の大学入学共通テスト利用選抜Ⅱ期の合格発表が行われました。
合格された皆さん、おめでとうございます。
4月に大谷地キャンパスでお目にかかれることを楽しみにしております。

そして今日、北星学園大学短期大学部開学70周年記念ボトルをいただきました。


短期大学部は、1951年に北星学園女子短期大学として開学し、2002年には大谷地に移転するとともに北星学園大学短期大学部と大学名を変更して現在に至ります。
以前紹介しましたように、短期大学部開学70周年を祝うホームページも開設されています。ここには歴史やインタビューなどがまとめられています。
ぜひ皆さんもご覧ください。

北星学園生協は、移転前、西18丁目にあった女子短期大学にもありました。
ずいぶん前に(生協理事になる前かもしれません)、購買や食堂に行った記憶が残っています。とくに食堂は、小さいながらも明るめでおしゃれな色調だったように思います。
当時の女子短期大学の食堂で使っていた椅子が、大谷地移転後に大学の食堂で使われていました(あれ?今でも使ってましたっけ?)。

そして今日のWE。

今日は鮭丼(506円)にみそ汁(33円)で、計539円でした。


夕方には、弱いながら雨も降りました。雪ではなく雨の季節になりましたね。

夜は、関わっているNPO法人の理事会でした。もちろんZoomです。
理事たちは札幌以外の方々も多いので、こんなときは遠隔で会議ができる環境が整ってきたことはありがたいですね。

では、明日も元気にいきましょう。

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆
 《明日の営業と催事》
 
 1F購買 10:00-14:00
  3F食堂 11:00-13:30
  Cafe Sarah 閉店
☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆


2018年9月3日月曜日

新・生協今昔物語(4)

大原です、おはようございます。

現在の厚別は曇り空。

4回シリーズでお送りしてきた新・生協今昔物語。
今回が一区切りです。
そして今回は1983年のパンフレットから。

オシャレなデザインになりました。

このパンフレットでは北星学園大学の1年が紹介されています。
これが面白いんですよねー。何ということもない文章ですが、書いている人のセンスが分かり苦労が目に浮かびます。昔は書いて訴えるということが一般的でしたよね。
ぜひ毎月の文章を読んでみてください。

1977年創部のアメフト部の写真が。

苦月「マイコンくらい使えないと」(苦笑)

今も昔も単位は気になるわけで。

次は大学周辺地図。
なくなったもの、新しくなったもの多数。
キャンパスの配置が今とまったく違っていることもお分かりになるでしょう。
また地下鉄東西線白石-新さっぽろ間が開通したのが1982(昭和57)年3月。このパンフレットにちゃんと記載されています。
さらに、サイクリングロード(陽だまりロード)に記載されている「注」。こんな文章、今では書かないでしょうねえ。(笑)


そして現在の学生さんには想像も付かないでしょうが、キャンパス内の建物の配置が大きく変わっています。円で囲まれた中の左上にある図書館が現在のセンター棟(カフェやラーニング・コモンズが入っている建物)です。その隣の生協の場所は現在の中庭です。ということは、当時は中庭がなかったわけです。当時の生協の写真が残っています。

また、一番下にあるチャペルが校舎から離れたところに位置しています。現在は図書館棟とB館の間に挟まれてしまっています。ちなみに1974年の写真にほぼ同じ光景が見られます。
それにしても正門前にバス停があったんですね。

食堂の価格も徐々に上昇しています。かけうどん・そばが90円。
喫茶レインボーのところでも紹介したように、食堂でも一物二価だったようです。組合員を増やそうとした結果なのかもしれませんね。

「ハムライス」がない!?

ちなみに1980年代の半ば以降に入学した越T室長によれば、越T室長入学時には一物二価ではなくなっていたとのことでした。

そういえば購買部のレイアウトが記載されていました。


現在と同じ配置の部分もありますが、エントランスと壁側の配置はまったく違っていたことが分かります。実はこの頃は、現在の大学会館はまだありませんでした。ですので配置が違っているのは当然です。
なお、写真としては大学会館竣工後の1986年の1F購買の写真が残っています。

ちなみに短大店は一度行ったことがありますが、ほとんど記憶に残っていません。
ただ、短大店で働いていたパートさんたちとは年に一回、観楓会(これも今では使わなくなった言葉だなぁ)でご一緒した時期があり(2002年以前)、懐かしい思い出として残っています。

生協今昔物語(10)
生協今昔物語(11) 

1983年頃の大学の動きを『北星学園大学五十周年史』で拾ってみると次のようになります(関係がありそうな事項のみ)。

 1982年3月21日 地下鉄東西線(白石-新さっぽろ)延伸、大谷地駅開設
 1985年9月28日 経済学部開設20周年記念式典・祝賀会開催
 1986年3月24日 現大学会館竣工

こうした資料は、もちろん、生協本部にもあるでしょうから、もっとレアな資料も見付かるかもしれませんが、こうして事務の方がファイリングしておいてくれたということに感謝して紹介しました。

2018年9月1日土曜日

新・生協今昔物語(3)

大原です、こんばんは。

今日の厚別は晴れでした。

新・生協今昔物語(資料から見るあの頃の生協)。
第3回の今日は、1977(昭和52)年のお買物案内。

時計台を強調しているのはなぜ?

現在、毎年、新入生向けに各種の冊子を配布していますが、1970年代にはカラー印刷のパンフレットができていたようです。
見れば、北星学園生活協同組合ではなく、北星大学生活協同組合。
第1回の主務官庁への提出書類でも分かりますように、これは明らかに間違いですね。この間違いも今となっては笑って済ませるのですが、今現在であれば、刷り直しは当たり前で、もしかしたら理事長の責任問題になる?(苦笑)

このパンフレットの中から3つほど紹介します。

まずは、その名も「勉学3点セット」。

全国で同じセットが売られていたのかも…。

机、いす、本棚の3点セットは小学生でも中学生でも、そして大学生でも必需品でした。
こういった商品が紹介されているということは、遠隔地からの入学生が多かったということでもあるでしょう。
右下にあるビニールロッカー(ファンシーケース)も一人暮らしでは必需品でした。

次は、第2回でも紹介したとても懐かしい名前のオリベッティ・タイプライター。

スポーツタオルサービス!(笑)

この時代はラジオの深夜番組が人気を博し、後から振り返ればハガキ職人なんていうラジオフリークがいた時代。その深夜番組のCMで何度も紹介されていたのがオリベッティ・タイプライターでした。
北星学園大学では英文学科がありましたのでタイプライターは売れたのではないかと推察します。

真っ赤なタイプライターが27,900円(もちろん消費税はありません)。
これがどれぐらいの価格なのかを知るために、もうひとつ紹介します。
それは食堂のメニュー。


すでにかけうどん・そばが70円になっています。ラーメンが180円。
タイプライターとラーメンを比較しても感覚的にピンとこないので、厚生労働省の統計から大卒初任給を見てみると、1977年に初めて初任給が10万円の大台にのり、101,000円になりました(現代の価値にすると151,725円だそうです)。
こうやって比較してみると、初任給の3分の1弱ですので高価であることに違いはないでしょうね。

ちなみにかつて紹介した「あの頃の生協」でも、1977年の写真は何枚か紹介しました。写真も資料も残っているというのは、偶然とはいえ、面白いですね。

生協今昔物語(7)
生協今昔物語(8)
生協今昔物語(9) 

この頃の大学の動きを『北星学園大学五十周年史』 から拾ってみると次のようになります(関係がありそうな事項のみ)。

 1976(昭和51)年6月10日 地下鉄東西線(琴似-白石)開通
 1978(昭和53)年3月9日 校舎増改築第1期工事着工
 同年10月1日 大学学生医療互助会発足

2018年8月31日金曜日

新・生協今昔物語(2)

大原です、こんにちは。

今日の大谷地も雨がちです。現在は雲間から青空ものぞいています。
お昼休みのひととき、いかがお過ごしでしょうか。

新・生協今昔物語(資料で見る北星学園生協)の2回目は「生協の栞」。

1966(昭和41)年に設立され業務をスタートさせた北星学園生協は、1967年4月に新入生を迎えます。
それに合わせて、生協の栞を作成したようです。


写真は少なく、使われていてもモノクロで、全体的に質素な作りになっていました(当時としては当たり前だったと思いますが)。
編集後記には、編集作業が遅れて予定していた時期に新入生に届けられなかったことが記載されています。


理事や学生委員のお名前を拝見すると、私にとっては見知った名前も散見されて、懐かしさを覚えます。

そして翌年の1968年に制作された「生協の栞」。
1967年版に比べると紙質も良くなりました。


業務案内を見れば、物価高騰の折、いかに生協が安く提供しているかが強調されています。この時期は高度経済成長期の終盤の時期にあたりますので、経済成長につれて物価も上昇していたのでしょうね。


面白いのは暖房具についての文章。
「まず部屋を暖めましょう。そして勉強に、読書に張り切つて下さい。」
「勉強に、読書に」とは大学生向けらしい文章です。しかもストーブとともに石炭も販売していたということはちょっとした驚きです。
また、書籍はこの当時から5%引きだったようです。紹介文では「5分安(ごぶやす)」と表現されています。
今の学生さんにもお知らせしたいことは、生協では店舗に並んでいない商品でもサービスでもほぼ間違いなく生協で入手できるということです。「購買部紹介」でも「注文制を取っている」との表現があり、昔も今もこれは変わりません。
ちなみに営業時間は今よりも短かったようです。

ファイルされていた「生協の栞」に共通に記載されていたのがこれでした。

誰が描いたのでしょうね。

セルフサービスとはどういうことなのかを周知したものでした。
セルフサービスという言葉自体が新しかったのかもしれません。ですので文章でも絵でも周知する必要があったのでしょう。

食堂部の説明もなかなか味わい深いです。
ちなみに、食堂では次のようなメニューを出していました。

ここにもあるハムライス(笑)

「基調メニュー」と「特別メニュー」に分かれています。今では定番メニューと催事メニューに分かれていますし、季節ごと・月ごとにメニューが入れ替わりますので、ずいぶん違っています。

またこの栞には業者の広告も掲出されていましたが、懐かしく見たのがこれ。


この広告については第3回で再度触れますが、この時代にはあったのですね、オリベッティ。

そしてこの頃には喫茶部も営業していたようです。その名もRainbow(レインボー)。

「ダベる」はもはや死語?

ここで注目して欲しいことは、その金額と一物二価。
コーヒー150円は現在のCafe Sarah(カフェ・サラ)と変わりません。当時の食堂の価格は現在よりもずっと安かったので、いかに喫茶メニューが高価だったのか分かります。
しかも、 組合員と非組合員の価格が違っていたこと。時代を感じます。
ちなみに、1971年と1981年の喫茶部レインボーについては生協今昔物語(2)で紹介しました。

ところで、この時代の大学の動きを『北星学園大学五十年史』から拾ってみると次のようになっていました(関係がありそうな事項のみ)。

 1964年1月14日 大谷地校地に移転開始
 同年3月20日 第1回卒業式(英文学科第1期生8名)
 1965年4月1日 経済学部経済学科開設、北星学園余市高等学校開校
 1966年6月11日 北星学園生活協同組合設立(大学店として食堂・購買業務開始)
 1967年12月27日 第3期工事の竣工により本校舎全館完成

2018年8月30日木曜日

新・生協今昔物語(1)

大原です、こんにちは。

今日は雨ですね。
お昼休みのひととき、いかがお過ごしでしょうか。

さて…

「資料庫を整理していたら、生協設立時から昭和63年までの資料が出てきました。」
生協理事を務める越T室長から連絡がありました。

バインダーは7冊。
北星学園生協設立時ほど資料数が多くなっていて、資料そのものも内容もまさに隔世の感があります。越T室長によれば、生協にかかわったO津さん(元事務局長)かA知良さん(元事務局長)あたりがファイリングしたのではないかとのことでした。

丁寧にファイリングされていました。

そこで、4回にわたって、資料の一部を紹介しようと思います。題して資料で見る北星学園生協。
第1回の今日は、設立時の資料から。

生協設立に至る経緯と当時の状況については、『北星学園大学開学20周年誌』(1981年)に掲載された初代事務局長である佐藤正夫氏の文章があります。
その中に「1966(昭和41)年6月11日(土)午後、大学チャペルで開催された『北星学園生活協同組合設立総会』こそ、わが生協の誕生でありました。」との一文があります。

設立までおおむね3年の準備期間を要したようですが、北星学園大学に経済学部が設置された1965年には学生数が増加したことから一気に生協設立に向けて動き出します。
※1965年の文学部学生数429名でこれに経済学部経済学科162名が増加し、計591名(『北星学園大学五十周年史』)。その後831名、1,100名、1,388名と増加する。

北星学園生協が設立された1966年は今から52年前です。
学生の皆さんにはピンとこないかもしれませんが、52年前といえば半世紀以上前。もしかするとご両親が生まれた時期に重なる方もいるかもしれません。それぐらいの月日が経っています。

その設立総会の議案書と議事録がこれです。

会場は礼拝堂(チャペル)

本人出席数に注目。凄い数です。

そして主務官庁である北海道庁への認可申請書。

10月1日に申請

まだ区制は敷かれてなく、所在地は白石町大谷地。
発起人代表は時任正夫氏(当時北星学園学園長)でした(1969年から北星学園理事長)。時任氏は第1回理事会(1966年6月13日)において北星学園生協理事長に選任されていました。
まず、資料そのものが青焼きです。
青焼きというのはコピー技術のひとつで、現在のようなコピー機が出回る前は青焼きやガリ版刷りなどで複写してました(今の学生さんにはガリ版刷りも分からないか…)。
ちなみに、札幌市が政令指定都市になり区制が敷かれたのが1972(昭和47)年4月1日(7区)。厚別区が白石区から分区したのは1989(平成元)年11月6日でした(札幌市ホームページによる)。

さて、総会資料の中に示されていたのが食堂の営業に関するプランでした。


当時は短大は南四条校地にありましたので別立てになっていました。短大の方が営業時間が長かったのですね。
献立表を見れば、まさに当時の物価水準が分かります。
天丼、玉子丼、親子丼がメニュー候補になっていました。

それより何より、資料が手書きです。
しかもうまい!

事業計画書や予算損益計算書(見積損益計算書)などの金額も興味深いです。638万円が最初の供給予算(売上高予算)。現在はその100倍になっています。
なお、設立当初の予算書は1966年6月1日から翌年の3月31日までが会計期間でした。現在は毎年3月に始まり翌年2月までが会計期間です。いつから2月決算に変わったのでしょうね。

次は第1回理事会議事録。

設立総会の二日後に第1回の理事会

北星学園学園長室で開催していたのですね。その後、総代会などは北光教会で開催されたりしています。

最後は事業開始後の食堂の営業品目。

設立総会資料では、30円だったかけそば・かけうどんが25円に値下げされていました。
また親子丼がなくなっていました。


B定食とC定食があるのにA定食がないのはなぜ?(笑)
奇っ怪なのがハムライス60円。
ハムカツとご飯なら分かりますが、ハムライスは想像が付きません。どなたか、記憶が残っている方、いませんか?(事業連合にはご存じの方がいそうな気もしますが)。

しかも営業時間も開始時刻が30分繰り上がって10時30分からになっています。
謎といえば短大の営業時間も大学より長くなっています。これはどうしてなのでしょうか。

話は前後しますが、北星学園生協の発起人名簿には50名を超える名前が記載されています。


これを見ると「北星学園大学」生協ではなく、「北星学園」生協であることが実感できます。
というのも、大学生や短大生、大学教員や短大教員、大学・短大事務職員の名前が多いのですが、男子高(現附属高)の方々、女子高の方々のお名前もあり、学校法人北星学園全体で生協を設立したことが分かるからです。
まさに、学校法人をあげて設立したのが北星学園生協だったわけです。このことはとても重要な事実であると思います。

2017年3月26日日曜日

生協今昔物語(お宝写真)

大原です、こんにちは。

今日の厚別もいい天気です。
雪解けが進みそうですね。

以前、「あの頃の生協」と題して、生協に関連する写真を紹介しました。
つらつらとPHOTOBOOK2017のページをめくっていると、これまで紹介していない生協関係の写真が4枚ありました。

まずは喫茶レインボーの様子。
以前にも紹介したのですが、喫茶レインボーは私の世代ではとても懐かしさを覚える「昭和な雰囲気」。
新聞を読んでる姿、今のカフェでは見られないかもしれません。

(PHOTOBOOK2017,p.20)

次は、生協が入っていた大学会館の全景。
これが今の中庭にあったというのは驚きですよね。

(PHOTOBOOK2017,p.20)

そしてもうひとつ驚いたことはこちら。
食券があったのですね。自動券売機などはなかったようで、窓口で支払いをしているような姿が見えます。

(PHOTOBOOK2017,p.20)

最後は1982年の食堂風景。
ちょうどピークの時間帯なのでしょう。空いている椅子がないほどです。
今では、他のグループと隣同士に座るということはなかなか見られなくなりましたので、その意味でもレアな写真です。

(PHOTOBOOK2017,p.21)

ちなみに以前も紹介しましたが、PC版では、右のバナーに生協今昔物語がリストされています。ただ残念なことに、これはスマホでは表示されません。
そこで、新しい読者の皆さんに、再度、リンクを貼り付けて紹介することにします。 

 生協今昔物語(1)生協食堂:1968年
 生協今昔物語(2)喫茶部レインボー:1971・1981年
 生協今昔物語(3)現在の中庭にあった頃の生協:1976年
 生協今昔物語(4)「古い生協のカラー写真」と大学会館建築:1981・1985・1986年
 生協今昔物語(5)購買部(こんなものも販売してました):1973年
 生協今昔物語(6)購買部(食料品を品定め):1973年
 生協今昔物語(7)購買部(懐かしの品々):1977年
 生協今昔物語(8)購買部(テトラパックとシェーバー)1977年
 生協今昔物語(9)食堂風景:1977・1983年
 生協今昔物語(10)書籍コーナーと図書利用券:1986年
 生協今昔物語(11)CD今週のベストテン:1986年
 生協今昔物語(12)書籍コーナー:2000年
 生協今昔物語(特別編)プレハブ校舎:チャペルの塔・図書館・ミス北星・ギャルコン
 生協今昔物語(番外編)絵はがきセット

(なお、使用した写真のほとんどは、北星学園大学開学50周年を記念した『50周年記念写真集』(2012年)の製作過程で収集された写真で、そのうち北星学園生協に関する写真の提供を受けたものです。)

なお、何度か触れていますが、なぜか「生協今昔物語(5)」だけが、アクセス数TOP10にランクインしています。

いずれにしても、今回紹介した4枚の写真は、生協今昔物語の隙間を埋める時代となりました。

2016年6月11日土曜日

祝!北星学園生協50周年!

大原です、こんにちは。

お昼休みのひととき、いかがお過ごしでしょうか。
大谷地上空は薄い雲がかかっていますが青空も見えています。

今日は統一補講日です。

さて昨日のエントリで、1F購買に北星学園生協に関する写真パネルが設置されたことをお知らせしました。
当時を知らなくても懐かしさを覚える写真ばかりです。
実際に1F購買に足を運んでいただいて見ていただきたいのですが、OB・OGの皆さん、あるいはご父母の皆さんはなかなか大学まで来る機会がないと思います。

パネルの写真は、このブログのPC版で右サイドバーに表示されるリンク「あの頃の生協」シリーズ(2013年)で紹介した写真の何枚かをピックアップしたものです。
ただこのリンクはスマホでは表示されず、残念ながらスマホからアクセスしていただいている方にはご覧いただくことができません。

そこで、今日のエントリでは、「あの頃の生協」シリーズすべての記事へのリンクを貼り付けます。
ぜひ「あの頃」を懐かしんでください。面白い写真がありますよ。

 生協今昔物語(1)生協食堂:1968年
 生協今昔物語(2)喫茶部レインボー:1971・1981年
 生協今昔物語(3)現在の中庭にあった頃の生協:1976年
 生協今昔物語(4)「古い生協のカラー写真」と大学会館建築:1981・1985・1986年
 生協今昔物語(5)購買部(こんなものも販売してました):1973年
 生協今昔物語(6)購買部(食料品を品定め):1973年
 生協今昔物語(7)購買部(懐かしの品々):1977年
 生協今昔物語(8)購買部(テトラパックとシェーバー)1977年
 生協今昔物語(9)食堂風景:1977・1983年
 生協今昔物語(10)書籍コーナーと図書利用券:1986年
 生協今昔物語(11)CD今週のベストテン:1986年
 生協今昔物語(12)書籍コーナー:2000年
 生協今昔物語(特別編)プレハブ校舎:チャペルの塔・図書館・ミス北星・ギャルコン
 生協今昔物語(番外編)絵はがきセット

なお、この記事で使用した写真のほとんどは、北星学園大学開学50周年を記念した『50周年記念写真集』(2012年)の製作過程で収集された写真で、そのうち北星学園生協に関する写真の提供を受けたものです。



2015年2月19日木曜日

あの頃の生協と遊び心

大原です、こんばんは。

今日の大谷地は雲は出てましたが晴れの一日でした。





17日に開催されたFD研修会で、北星学園生協に長くお勤めいただいているOさんのお話を伺いましたが、その中で、Oさんは「生協のブログで紹介されていますように」とこのブログを引き合いに出してくれました。
何が話題だったのかといえば、「昔の生協」です。

生協の購買店・食堂が今の位置に移る前は、現在、中庭になっている場所にありました。以前は、生協にレインボーという喫茶部があり、学生さんたちのたまり場になっていました。
Oさんはその頃から北星学園生協にいましたので、まさに生き字引的存在です(生き字引という言葉、死語ですか?)。

そのOさんに紹介していただいた話題が「あの頃の生協」。
PC(タブレット)でアクセスしている方は右のバナーからリンクをたどることができますが、スマホからは見ることができません。

というわけで、PCからアクセスしていただいている方には恐縮ですが、リンクでもう一度紹介します。

生協今昔物語(1)生協食堂:1968年
生協今昔物語(2)喫茶部レインボー:1971・1981年
生協今昔物語(3)現在の中庭にあった頃の生協:1976年
生協今昔物語(4)「古い生協のカラー写真」と大学会館建築:1981・1985・1986年
生協今昔物語(5)購買部(こんなものも販売してました):1973年
生協今昔物語(6)購買部(食料品を品定め):1973年
生協今昔物語(7)購買部(懐かしの品々):1977年
生協今昔物語(8)購買部(テトラパックとシェーバー)1977年
生協今昔物語(9)食堂風景:1977・1983年
生協今昔物語(10)書籍コーナーと図書利用券:1986年
生協今昔物語(11)CD今週のベストテン:1986年
生協今昔物語(12)書籍コーナー:2000年
生協今昔物語(特別編)プレハブ校舎:チャペルの塔・図書館・ミス北星・ギャルコン
生協今昔物語(番外編)絵はがきセット

このうち、番外編の絵はがきセットは、FD研修会でお話しいただいたOさんに提供していただいたものです。


さて今日のWE。

今日は「セットで食べてね」といわんばかりの遊び心メニューでした。
ピリ辛野菜ラーメンとんこつ味(390円)とキノコご飯(小)(86円)、計476円。
写真を撮り忘れましたが、このふたつが並んでサンプルケースの前に置いてあれば、条件反射的にオーダーしてしまいます。
ご一緒した同僚の先生方も揃って遊び心をチョイスしていました(副菜は別でした)。





ピリ辛野菜ラーメンとキノコご飯。
なかなかの組み合わせでした。ボリューム満点。
ですが、どちらも遊び心メニューですので、カロリーも栄養3群の表示もなし。心置きなく堪能しました。(笑)


では明日も元気にいきましょう。

いき‐じびき【生き字引】
経験を積み、よく物事を知っている人。先例や規則に精通していて、その人に聞けばすぐわかるというような人。ウォーキング‐ディクショナリー。「社内の―」[広辞苑第6版]
ウォーキング‐ディクショナリー【walking dictionary】
生き字引。[広辞苑第6版]

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆
《明日の営業と催事》
1F購買   9:30-14:00 お部屋紹介(10:00-15:00)
3F食堂 11:00-13:30 冬のおいしいおすすめ
2F特設会場 卒業衣装受注会(最終日)
☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

2014年1月13日月曜日

One for All, All for One

大原です、こんばんは。

今日の厚別はものすごい降雪がありました。
日中の最高気温もマイナス5℃を下回り、寒い一日でした。

さて昨日予告しましたように、『北星学園大学開学20周年記念誌』に掲載された北星学園生協誕生の頃を紹介します。

大学開学の頃の様子もうかがい知れ、まさに往時を偲ぶことができます。
ぜひご一読ください。

なお、この記事は通常のエントリとは異なり、独立したページでエントリし、サイドリンクしています。


一人はみんなのために、みんなは一人のために-佐藤正夫




2014年1月12日日曜日

あの頃を振り返る

大原です、こんばんは。

寒い日が続いていますね。
厚別は3日ぶりぐらいにまとまった降雪がありました。

さて、特別編・番外編を含めて14回にわたって紹介した生協今昔物語。
北星学園に生協が誕生したのは1966(昭和41)年6月11日でした。北星学園大学が開学したのは1962年4月ですから、4年後に設立されたことになります。
そして、2016年(2年後)には生協設立50周年を迎えます。

北星学園生協は、北星学園大学生協ではありません。つまり大学の文字が入っていません。
これは、設立当時、北星学園女子短期大学(現北星学園大学短期大学部)が大谷地ではなく南四条にあり、学校法人北星学園を母体とする大学と短大のキャンパスが2つあったことから、大学の生協としてではなく、大学と短大のための生協として位置付けられたからです。

このあたりの事情を知ったのは、『北星学園大学開学20周年誌』(1981年)に、当時の事務局長であった佐藤正夫氏が書いていたからでした。
今昔物語を考えていて写真を収集していたときに、『20周年誌』に記載された佐藤氏の文章のコピーもいただきました。




『ぜひ北星学園生協の設立時の様子を皆さんにも知ってほしい』と思っていたのですが、なかなかうまい具合にブログに掲載する方法を見つけ出せませんでした。
しかし、あれこれ試行しているうちに、いい方法を思いつきましたので、明日にでも全文を紹介したいと思っています。

どうぞお楽しみに。

さあ、明日も元気にいきましょう。

2014年1月8日水曜日

生協今昔物語(番外編)

大原です、こんばんは。


生協今昔物語も、今回で完結です。
今回は、今昔物語を読んでくれているパートのO久(オーキュー?苦笑)さんから提供された「資料」を紹介します。

Oさん、実は北星学園生協でもっとも古くからお勤めいただいている方で、以前紹介した中庭にあった喫茶部でも働いていたというほど古くから貢献していただいています。


そのOさんが私に見せてくれたのが下の絵はがきセットです。






表紙には塔があるチャペルの写真で、「北星学園大学」の文字。


そしてその中には6枚の絵はがき。





まずは航空写真。
赤い屋根の校舎が見えます。すでに道央自動車道も建設されていますし、右の上には現在の厚別公園競技場と思われるグラウンドも見えています。
野球場はまだしも、現在の多目的グラウンドは土だけ。(苦笑)
右下にちょっとだけ見えている赤い屋根は、合宿所(現kirari)です。





次の1枚はグラウンド側から見た大学。
いつぞやも紹介しましたが、まだチャペルに塔が立っています。『写真集』(p.36)によれば、現B館が完成した1996年に、倒壊の危険があったため撤去されたそうです。その当時、私はすでに北星学園大学に勤務していて、塔があったことは記憶にあるのですが、いつ撤去されたのかは不確かでした。






そして次は現在の第1研究棟。1987年の冬に竣工しました。
この年の4月に経済学部に経営情報学科が設置されました。






チャペル内部の写真もあります。
2012年にパイプオルガンが新調されましたが、ここに写っているオルガンもいい音色を響かせていました。




北星学園大学のシンボルであるライラックの写真もあります。
ライラックの後ろの白い建物は、現在はセンター棟(管理棟)ですが、最初は図書館だったそうです。





そして最後は現在の大学会館(生協)。竣工は1986年2月。
現在は東側に増床されてもっと大きな建物になりましたが、当時はまだ西側だけでした。





面白かったのがケースの裏に記載されていた住所です。
白石区から厚別区が分区されたのは1989(平成元)年です。住所を見ると白石区になっていますし、郵便番号もまだ3桁の時代です。

白石区大谷地828だったんですね。
ちなみに電話番号は当時も今も一緒です。






この絵はがきセットは、北星学園生協ではなく北星学園大学が何らかの目的で製作したものであることは間違いないでしょう。
Oさんに訊くと、「生協で売っていたと思います」とのこと(だからOさんも持っていた)。
このあたりのことについては、事情通のある方に問い合わせてみたのですが、当時、このようなグッズを作る担当だった方が退職していて詳しくは分からないとのことでした。
しかし、1989年の分区以前であったことは事実ですし、1987年に竣工した第1研究棟がありますので、1987年度か1988年度のどちらかに製作されたものと推察できますね。

そうなると余計に知りたくなります。
どなたかご存じないでしょうか。

2013年12月11日水曜日

この顔にピンときたら…

今日も12月らしくない天気の一日でしたね、大原です、こんばんは。
雪の予報は出ていても、一向に降る気配がありません。雪がないというのは歓迎すべきことですが、それでも何かおかしいなあと思いますよね。

午前中は、ある理由であまり体調が優れませんでした。
こんなとき、無性に食べたくなるのが、醤油ラーメン(360円)。そして醤油ラーメンといえばライスSS(50円)。ついでに揚げ餃子(52円)。

いや、おいしかったなぁ。
おかげで体調がすっかり戻りました。


ところで、写真で振り返る生協今昔物語。
写真の中には、当時の学生さんたちの姿も写っていて、『名乗り出てくれると嬉しいけどなあ』と思っておりますが、ブログの認知度の問題もあり、なかなか「私です」という方がいませんでした。

ところが、ひょんなところで、ひょんな方から「私かも」と囁かれました。
その写真は生協今昔物語(2)に掲載しました。その写真を再掲してみましょう。


ここに写っているという情報が…。


そしてその方をフィーチャリングしてトリミングすると…


見返り美男。(笑)


確かに似ています。
そこで、Y田専務を通してご本人に確認すると「そうです」とのこと。古くからいるパートさんにも確認しましたが、やっぱり「そうですよね。」

写真は1971年頃とのことですので、『そんなに古くからいたの?』と思ったり、本人が本人ですといっているわけですので(笑)、もしかすると写真の日付が間違っているのかもしれませんが、いずれにしても、写真に写っている方が一人現れてくれたことは嬉しいことです。

OB・OGの皆さんが、この小さなブログを発見してくれて、「僕です」「私です」と名乗り出てくれることを期待したいと思います。

えっ?
写っている人、どなたかって?

その昔、北星学園生協にお勤めしていた方で、現在は道東のある大学生協で専務をされている方です。


では明日も元気に行きましょう!


2013年11月23日土曜日

生協今昔物語(特別編)

大原です、おはようございます。
今日は勤労感謝の日です。厚別は雨雲の間から青空がのぞいています。


さてあの頃を振り返るシリーズ特別編。
今回は、生協ではなく、北星学園大学のあの頃を振り返る写真を何枚か紹介します。

最初の1枚は大谷地に移転してきたばかりの頃の大学校舎でしょうか。1964(昭和39)年3月に大谷地での第1回の卒業式が挙行されていますが、同窓会などで話題になるプレハブ校舎がこれなのかもしれません。





次は1964(昭和39)年2月頃に撮影された大谷地神社前です。
この坂道は今でもあります。これを登っていくと正門です。
なお、写真集(10ページ)によれば、当時、まだ南郷通はなく、坂道は国道12号線につながっていたそうです。


神社の鳥居は今と一緒です。

まわりに何もない時代ですね。


ところで1970年代の大学の様子を撮した1枚を紹介しましょう。
1974(昭和49)年の写真です。


今と違ってチャペルが目立ちます。


今のkirari側から撮影しています(もちろん当時はkirariはありません)。

目に付くのはチャペルの塔です。その前(後ろ?)に校舎(1号館)が建っています。右手には体育館が見えますが、校舎も体育館も現在のものとは違います。

また、グラウンド整備が十分ではなかったこともうかがい知れますよね。当時は土が硬く水はけが悪かったと聞きます。それに比べると、現在は申し分ないほど手入れが行き届いています。
写真には野球をしている学生さんが写っています。

さて次の写真は図書館です。
「大学といえば生協」という以上に、「大学といえば図書館」です。学生さんたちが勉強する姿は、今も昔もステキです。
今の図書館とはかなり違っていますよね。もしかすると現在の図書館に移転する前、センター棟に図書館があった時代の1枚かもしれません。


これまた時代を感じる1枚。


さてお次は、なんとも微笑ましい1枚です。
いつ撮影されたのかは不明ですが、星学祭(大学祭)の後夜祭の一コマのように思われます。
踊っているのは、もちろん、フォークダンスです。この腕の組み方はオクラホマミキサーでしょうか。(^^ )
今の星学祭のフィナーレはストリートダンスですが、かつてはフォークダンスだったようです。


それにしてもジャージ姿というのも微笑ましいです。


こちらはミス北星でしょうか。
ミスとはいっても女性になりきった男子学生です。これも往時の高校、大学で流行したイベントでした。


らしくない?(笑)


そして最後はこれ。
キャンパス・ギャルコンテスト(ギャルコン)。
これまた流行りましたよねえ。


いろいろな意味で時代を感じます。


※ここで紹介した写真は、生協常務理事の越田さん(大学職員)が収集した写真の提供を受けたものです。

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